農ライフ

農業についてや会社についてやたまに自分のことを書きます

なぜ農業で会社をやろうと思ったのか?

はじめに

 

はじめまして株式会社Educoの羽田野と申します。

2016年の3月末までナイル株式会社(旧ヴォラーレ)にいたのでまだ口が慣れておらず電話など出るときには思わず「ナイ・・株式会社Educoです」と言ってしまいます。

 

まだまだ会社経営者としてはおろかビジネスマンとしても未熟な私ですが、今後のEducoのことや農業のこと、たまに自分のことをブログで書いていこうと思いますのでよろしくお願いします。

 

今回はブログ初めての投稿なのでなぜ農業に興味をもってEducoという会社を始めたのか?そのへんのことを書いていきたいと思います。

 

生い立ち

「なぜ農業なんですか?」一番聞かれる質問がこれです。

先ずはここから私のバックグラウンドと合わせて説明していきます。

 

出身は静岡県の浜松市というところでホンダ、スズキ、ヤマハ、カワイなどの会社があり工業の盛んな街でした。友人のお父さんの多くは先ほど上げた会社かその関連企業に勤めていることが多かったのですが、私の父はそれら企業とは全く関係なく、住宅展示場の管理会社とエクステリアのデザイン・施工会社を経営していました。

 

父は趣味程度ではあったのですが華道の先生もやっていて毎週木曜日は仕事が終わったら華道教室を開き残った花を家に持ってきていけるというような姿を見て育ってきました。

また父はエクステリアのデザイン・施工会社も経営していたので本人自体がガーデニング好きで季節ごとに庭の花を植え替え、それを一緒にやっていた記憶があります。ガーデニングには飽きたらず家の裏に猫のひたい程の畑を借り家庭菜園もやっていて夏になると帰宅するや否や水やりと収穫というような父の背中を見て育ってきました。

そういった背景もあり周りの友人が車や機会に興味を持つなか自分は花とか野菜とか植物とかに興味を持つことが自然な流れだったのかもしれません。

 

加えて母方の実家が農家でナシ、ミカン、ジャガイモを栽培していて私も幼い頃から畑で遊び、畑を手伝い、畑でいたずらして怒られるような環境だったためそもそも農業というものがすぐ近くにあり、農業と一緒に育ってきたというような気がします。

 

農業を志す出来事

ここから一気に大学院の修士1年に話が飛びます。

幼少期から大学4年までの何かしらあったのですが農業にはあまり関係のある出来事はあまりないので今回は飛ばします。

 

大学院まで行って何をしていたかと言うと草の研究をしていました。なぜ草か?とも言われるので、ここだけ少し説明をしておきます。

草に興味をもったのは私の恩師である根本先生の講義を受けたことがきっかけです。そもそも草など勝手に生えてくるし、野菜や花にとって邪魔な存在としか思っていませんでした。しかし講義の内容はこうです「草は土、気温、光など様々な環境によって住み分けを行い非常に戦略的に生存している」と。勝手に生えてくる草が戦略的かつ、それぞれの事象をすべてグラフとか数字で説明できることに興味を持ちわざわざ大学院まで行って草の研究をしていたのです。

草の研究もそれなりにまとめて学会に出したのでどっかのタイミングで紹介したいと思います。

 

ただ草の研究に集中していたのですが修士1年の秋、祖父母が年齢的なこともあり農家を引退することとなりました。東京にいた私はその連絡を受けその時は特に何も思わず「そうか~仕方ないね」くらいの感じでいました。その連絡を受けその時はなんとも思わなかったのですが、正月に祖父母の家に行くと幼少期遊んでいた畑が更地になり駐車場にする準備が着々と進んでいました。

これは正直ショックでした。そしてその時思ったのです

「東大の農学部といえば確かに農学部としては最高位だろう?そこで最先端の研究をしていながら身近な人の畑の1つも守れないのか?これは俺が日本の農業をなんとかしないといかん!!」という大きな勘違いをするのです。こんなことを真顔で言っているやつがいたら頭湧いているかと思われるかもしれませんが今もこれは本気で思って(勘違い)しています。

 

そこから

そこから農業をなんとかしたいな?と思いつつも結局何をするんだ?と色々考えるようになりました。

色々考えたのですが、祖父母の土地が駐車場になったのは結局担い手がいなかったということです。(私が継がなかったのはここでは棚に上げます)ではなぜ担い手がいなかったか?理由は様々あるのですが、最大の理由は「作業が大変な割に儲からない」ということだと考えが至るようになりました。

もし農家という職業がめちゃくちゃ稼げる職業だったらどうでしょうか?

祖父母の畑は誰かが継ぐか、そうでなくても駐車場にはならず畑として維持されたのではないでしょうか?

 

しかし農業という産業は儲からない、正確には儲かりにくい産業構造になっていることが問題となります。だから農業がもっと儲かるような産業に変われば、農業という産業が魅力的な産業となり、あこがれの職業になるのでは?と考えたのです。

 

現在は農業を継ぐ人は減っていて、農家の出身でも東京とか大阪とか都心部に出て農業とは全く関係ない仕事をしています。更に農家も自分の子供には農業以外の仕事をしなさいと言い出す始末です。

しかし、極端な例ですが、東京のそこそこの大学を出て、そこそこの企業に入って、年収が1000万円くらい。もしくは実家の農家を継いだら年収3000万円・・・というような状態であったとしたら?収入面だけで仕事を決めるわけではありませんが、農業をついで3,000万円というようなことがあれば、農業をやろう!やりたい!と思う後継者や新規就農者も出てくるはずです。

 

これが私の農業をなんとかしようと思った出来事とそれから考えたことです。

 

じゃあどうする?

そうは言うもののこれからどうするの?と色々考えました。

最初は外資コンサルに行って経営的なスキルを身につけよう(←浅はかな考え)、官僚になって制度から変えていこう(←これも浅はか)と考えたのですが結論はこうです。

どこの組織に入ったしても本当に自分の思い描くように農業を変えていくことができないのではないか?と。それならいっそのこと会社を立ち上げ変えていこう!と思ったのです。

 

そこで卒業したらすぐに起業して「おらーーー」ってやることも考えたのですが、正直言えばひよって先ずは必要なスキルがいち早く身につくベンチャー企業に入ろうと思ったのです。

私の就活の軸は

①優秀な人材がいること

②早くからチャンスがあること

ということで考えていました。そのためできれば50人以下くらいで農業とか関係ないWeb、もしくはIT系の会社と決めて就活をしていました。

そんな中であったのはナイル株式会社(当時はヴォラーレ)です。当時人数は50人程度でしたが、ヴォラーレにはピカピカの人材がいて優秀も優秀、超優秀層の集まる会社でした。ここで揉まれれば絶対強くなる!そう確信し、内定から2秒で内定を受けました。

 

内定をもらった経緯もちょっと特殊で高橋代表(こんな呼び方したことないやw)とランチをして将来の農業のことを熱く語り、最後に「お前内定!」「はい!がんばります!」と決まったと記憶しています。

しかし最初から将来農業系で独立すると伝えていたのですがそれでも内定を出してくれた代表(普段はこう呼んでいます)とナイルの懐の深さには本当に感謝しています。

 

ナイルでは多くを学びました。入社前にあるプロジェクトのリーダーにして頂いたり、Webマーケの基礎、社会人としての基礎、マネジメント、営業などを経験させていただいたり・・とめちゃくちゃ凝縮した2年間だったと思います。

 

今はナイルも100人を超え海外展開もする会社になっていて、自分が入った時以上にピッカピカの人材が集まる会社になっていますし、今自分が18卒とかとして受けたら落ちるだろ?みたいなことを本気で思っています。

 

ナイルを2年で辞め、みなさんには卒業と言っていただきましたが正確には中退に近いかもしれません。それでも送り出してくれたナイルのみなさんには本当に感謝しています。そしてナイル出身としてなんとしても成功しないといかんなとも思っています。

 

と、後半はナイルへのお礼になってしまいましたが、農業を志したのは幼少期の体験と修士のときにあった出来事がきっかけで、自ら会社を立ち上げることとなりました。まだまだEducoは赤子も赤子、へその緒も切れていない助産師に取り上げられた瞬間くらいの会社ですがこれからしっかりと一歩一歩やっていきたいと思います。